TwitterなどのSNSを見ていると、”大学を辞めたい”とか”今から大学辞めてくる”とか、自らドロップアウトしようとしている若い人たちを多く見ます。
それはときに勇気のいることですし、スティーブ・ジョブズも大学中退だと聞くと、何だかカッコイイものに思えてくるから不思議ですよね。
何を隠そう僕も大学を辞めた過去のある一人ですので、今回は”大学を辞めることについて”経験者として一言書かせて下さい。
その選択肢、本当に受け入れる覚悟がありますか?
僕が大学を辞めた日(敷かれたレールを降りた日)

雨がしとしとと降る雨季の季節でした。僕はソワソワしながら大学のオフィスに退学届を提出したところ、名前も分からない職員の方にあっけなく受理されました。
こんなにも簡単に受け入れられるほど、僕の大学生活って無価値だったのか、と愕然としたものです。
僕が中退したことを後ほど知った母親は、心の底から落胆していました。父親の方はといえば、いつもよりも更に寡黙でただただ黙っていました。
自分は何にでも成れると思ってた
関西でもそれなりに名の通る私立大学にストレートで入学した頃の僕は、恥ずかしげもなく何にでも成れると思っていました。
しかし、どこでどう道を踏み外すしてしまったのか(はたまた敷かれたレールを降りてしまったのか)、憧れだったその大学に退学届を提出したのです。
それでも辞めた頃の僕と言えば、不安半分・自信半分といった面持ちで、もしかすると根拠のない自信が大半を占めていたかもしれません。
大学中退後(レールを降りた)人生はそれなりに楽しかった

別に特別何かをするといったような計画もなく大学を辞めた無謀な僕でしたが、中退後の人生はそれなりに楽しかったです。
ここで詳しく書くことは避けますが、多くのやりたかったことをやれましたし、憧れだった「海外移住」もプチ体験し、あるいはたくさんのことを学べました。
しかし、そんな楽観的な心境も2年目を過ぎた頃には、楽しさや自信よりも漠然とした不安な気持ちの方が、日々増していったのです。
あの中途半端な気持ちは絶対に忘れない
大学を卒業しなかったという、いわば人生の節目を辞退したのですから、何かをやっていても心の中がいつもソワソワしていました。
スティーブ・ジョブズやホリエモンのように、大学を辞めてまでやりたかったコトがあれば、それに没頭し漠然とした不安を忘れることも出来たかもしれません。
あのときに感じていた、どっちつかずの中途半端な嫌な気持ちは、絶対に忘れないでおきたいです。
敷かれたレールじゃなくて自分が敷いたレール

そんな「漠然とした不安」が増してくるにしたがって、自分のことを何度も振り返ってみました。すると、僕が大学を辞めた(辞めざるおえなかった)理由がようやく理解できたのです。
僕が大学を辞めた理由、それは小さなときから何かを始めても直ぐに嫌になり、継続してコツコツと努力が出来ない自分自身の”甘え”のせいでした。
それなのに、当時の僕は”自由を手に入れるためだ”とか”敷かれたレールなんかクソ喰らえ”とか哲学ぶって、自分は人とは違うなどと、甚だ勘違いしていたのです。
過去の延長線上ににしか自分はなれない
義務教育 → 高校/大学 → 社会人(会社員)に進むことを、最近は”敷かれたレール”のように揶揄するような表現をよく 見かけます。
”敷かれた”と言っている時点で、何かのせいにし人生を受動的に生きているのだと、当時の僕は全く気づいていませんでした。
そのレールは自らが敷いたものなのだと、過去の延長線上にしか自分はなれないのだと、ようやく理解することが出来たのです。
そして自分でレールを敷くことを選んだ

大学を止めた日からちょうど3年目。僕は久しぶりにキャンパスを歩いていました。そう、自分のレールを自分自信で敷き直すと決意したのです。
幸い僕の大学は辞めてから3年以内であれば、単位をそのまま引き継いで復学できるという制度があって、その制度に救われました。
そして現在、同期のメンバーと比べて周回遅れではありますが大学を無事に卒業し、退学したときに少しだけ暮らしていたタイで、今は一児のパパをしています。
大学中退を受け入れる覚悟がありますか?
僕の体験談を聞いて、あなたはどのように感じたでしょうか?やっぱり大学は卒業しようと思ってくれましたでしょうか?
もしそうなら甘いですね。この程度の記事で心変わりしてしまったのであれば、大学は辞めなくて大正解です(やめたら絶対に後悔すると断言します)。
でも、あなたがもし”こんな記事知るか!ボケ”と本気で思ったのであれば、きっと大丈夫。今まで通り自分のレールを力いっぱい敷いて下さい。
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